(参考文献 「紅茶の世界」荒木安正著 柴田書店)
ここらへんで、まだ「烏龍茶」「紅茶」が伝わってないのか?
というところで前回は終わってましたね。
で、そもそも、日本という国がなんで紅茶をつくろうとしたのか?
つくらなければいけなかったのか?・・・ですね。
みなんさんよくご存じのように、日本という国は明治維新までは200年以上鎖国状態でした。その日本が開国したときの国の政策として「貿易」「交易」があったわけですね。
そこで、何を?輸出しようかと・・・。
まず、生糸。次に、お茶。しかし、日本茶は外国では飲まれてませんし、受け入れられてませんから、仕方ないから紅茶?(笑)
というより、今まで紅茶市場を独占してた中国を押しのけて、すごい勢いでヨーロッパ勢の紅茶生産が盛んだった。いわゆる、「ブーム」!(←古い?)一大「ムーブメント」!(どうよ?大丈夫?)
そこで、明治7年に中国から技術者を招き、九州でスタートしたわけです。
その後、日本のお役人がインドに派遣されて当時の「イギリス式製茶技術」も学んだようですが、その頃のイギリスなどの大規模農法(プランテーション)による紅茶には、品質、コスト等でたちうちできなかったようです。
気候風土ももちろん紅茶生産に適してませんしね。
そういうことで・・・。
日本には一応、製茶技術として、もしくは製品として日本に入ってきたのは明治時代になってからと考えていいのではないでしょうか?
もちろん、文献によればそれ以前にも将軍家に献上されてるものもあるようですが・・・。
ここで、「紅茶の伝来」は一区切りさせてもらいます。
次は、夢やの紅茶に対する考え方、接し方が、何故・・・?
イギリスよりではなく、日本、中国よりなのか・・・?(笑)
今までのお話と、これからのお話で納得してもらえるのでは・・・?と考えてます。
今までのお話で、「製茶技術」そのものは中国が200年以上も前からもっていてそれをイギリス人が学び、当時唯一の「工業先進国」として工業化したということがご理解いただけたかと思います。
それともうひとつ大切なことは、世界中のお茶の消費国で「自国生産」してないのもイギリス(フランス等のヨーロッパ)等の国々であることも頭に入れておいてくださいね。(笑)
で、続きは次回で・・・。
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