こんな大それた題目で語れるほど、おぢさんは物知りではありません!(笑)
でも、一応、こういう項目も必要かと・・・思うでしょう?「紅茶読本」っていうくらいだからさ。(大笑)
そこで、おぢさんも一応「プロ」だからいろんな本を読んだり、自分の経験等から「自分の考え方」をもってます。ひとつここでそういうことを語ってみようかと・・・、思うのですね。
一口では語り切れませんから「夢やの紅茶通信」に書いてることを中心に語らせてもらいます。
(参考文献 「紅茶の世界」荒木安正著 柴田書店)
チャ(茶)とはなんぞや?
というお話を何回かに分けてお伝えしたいと思います。
植物学的には・・・学名「カメリア・シネンシス」ツバキ科ツバキ属。
日本では、新潟県の村上あたりを一応北限として、南へ全国いたるところに茶の産地があります。ほとんどが緑茶ですけど・・・。(国産紅茶はあとで)
19世紀に入り、中国以外では、アッサム地方の奥地でチャの樹が発見されいろいろな学説が発表されるようになりました。
しかし、現在では「中国大陸の雲南省・四川省」あたりが発祥だと言われています。
大昔から現在の「製茶技術」があったわけではありませんよねぇ〜?。
じゃ〜、どうやって飲んでいたんでしょうか?
中国の山の中に行くと、少数民族が多数生活してます。
彼らの生活の中に・・・。
● 茶の葉を漬け込み(乳酸)発酵させ、それを噛んだり食べたりする。
● チャの樹の枝ごと切って、火に炙ってお湯につけこんで飲む。(焼茶)
● 茶葉を利用した野菜スープ。
しかし「薬用」としては「我慢」できても「飲用」としては、当時の人達もきっと「満足」できなかったので、「製茶技術」が発達したんでしょうね。
生の茶葉を火で炙り焼き、天日で乾かすことで保存が可能になる。(乾茶)
天日だと天候に左右されるから、釜で炒るか、甑で蒸すといった具合にいろいろ考えられたのだと思います。
「固形茶」の前に「乾茶」がつくられ「原始的な葉茶(リーフティー)」がつくられていたようです。
6世紀のころには「喫茶」という習慣があったとされているそうです。
唐の時代に「固形茶(団茶)」というものが主流で、茶に混ぜ物をしたり着香したものが流行ったようです。
宋の時代になると、ピュアな茶がもてはやされ、抹茶(粉茶)や煎茶(葉茶)が主流になります。また、皇帝!(エンペラーですねぇ〜)に献上するための「固形茶」の表面には、金の竜鳳紋がつけられたりしていたそうですよ。中国らしいですねぇ〜。
「無駄」としかいいようのない「自己顕示欲」というか「派手派手」さですね。そして、これが「せん茶」と「餅茶」のはじまりといわれてるようです。
明の時代に「烏龍茶」と「紅茶」の原型がつくられたそうですよ。
ということで続きは次回です・・・。
次回は
「中国茶の伝来」です。
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