(参考文献 「紅茶の世界」荒木安正著 柴田書店)
奈良時代に仏教と一緒に大陸から伝えられたと言われてます。
「固形茶」といわれるもので、砕いてお湯を注ぎお茶のエキスを飲んでいたそうですね、座禅の眠気覚ましに使われていたそうですよ。
もちろん、仏様に対する供養物というのが第一の用途でした。
でもって、これはこれで終わっちゃうようですね。
私が思うに・・・絶対に、「苦くてうまくない!」と思ったんだと思うんですよね。
次は、鎌倉時代に臨済宗の栄西禅師という偉いお坊さんがおって、この人が大陸に留学して帰国するときに、「チャ」の樹の種、苗木を持ってきたらしいよ。
そいでもって、佐賀県の背振山(セブリヤマ)というとこのお寺「霊仙寺」に蒔いたらしい・・・。
この頃が「抹茶」ですね。
でも、まだまだ「庶民」の飲み物ではなかったようですね。
江戸時代になって、乾燥させた茶葉をお湯に浸し、その茶液を飲むという飲み方がはじまった・・・らしいですね。
これが「煎茶法」と言ったそうですよ。でも、今の「煎茶」とは違いますよね。
今の「煎茶」は、「日本式」で1738年、永谷宗円によって開発され・・・茶葉をまず蒸して、揉んで、炙って、乾燥させたものです。
以上のような感じで「伝来」してきたようですね、お茶というものが。
「固形茶」はやっぱおいしくなかったんだろうね。日本になじまなかったのかな?
「抹茶」は「茶道」として、時の権力者に擁護されながら・・・というか・・・操りながら(笑)というか、「日本の物」「我がもの」にしてしまい・・・世界的にもまれな「芸術文化」の域まで高められました。
「煎茶」は、日本の「大衆文化」というか「庶民の飲み物」としての地位を築くわけですね。
というわけで、大陸から伝わった「チャ」は九州で実を結ぶわけですね。
佐賀長崎の「嬉野茶」熊本宮崎の「青柳茶」などですね。
でもって、なんで?ここらへんで、まだ「烏龍茶」「紅茶」が伝わってないのか?
それは、私にもわかりませんです、はい。
ただ、中国でもまだ、これらのお茶が「市民権」を得てなかった、「認知」されてなかったんじゃなかろうか・・・?ということらしいです。
じゃ〜、それらは「いつ?」「どうやって?」などを次回ということで・・・。
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中国茶の伝来2
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